JPTHELAZYのブログ

大学生の雑記ブログです。日常生活の出来事や気になっているものを取り上げていきます。

マルチ商法と友達について

二年前の冬だったと思う。

 

日付をちょうどまたいだくらいに今は無き家の近くの喫煙所で一人タバコを吸っていた。

 

大した悩みもないのに打ちひしがれた大人の真似事をしながら険しい表情で煙を吐く。

 

急に電話がなった。 長い付き合いのある地元の友達からだった。

 

久しぶりの連絡に驚きと嬉しさを感じながらスマホを耳に当てた。

 

「最近どう?」からはじまるたわいのない会話に違和感を感じていた。

 

(暇電する仲でもないのにどうしたのか、、要件はなんだろう、、今から飲もうってやつか?)

 

違和感の答えはすぐに出た。

 

「突然だけどさ、今100万円あったらどうする?」

 

「え?」

 

 

その一言ですべて理解した。

 

ついに俺のもとにもきてしまったか。。。

 

二つの感情が同時に現れた。

 

一つは、「あ! これ進研ゼミでやったとこだ!」

 

を彷彿とさせる

 

「あ! これ中学校の時家庭科で習ったやつだ!」

 

というやつだ。

 

十中八九マルチの勧誘だと確信したし、それは間違いではなかった。

 

 

もう一つは、悲しみだった

 

自分の周りはリテラシーの高い人間が多いと確信していただけあって、マルチの勧誘なんておとぎ話だと思っていたのだ。

 

 

急にテンションが下がってそこからの会話はほとんど覚えていない。。

 

「今度、色々紹介したいから先輩と話そうよ、他の奴らも誘ってるからさ」

 

「ああ、考えとくよ」

 

 

テンションだだ下がりで電話を切ったオレは焦燥感に満ちていた。

 

 

その後も何度も先輩を紹介したいとのお誘いが来たので、仕方なく渋谷のカフェに同行することにした。

 

 

まあ正直面白いもの見たさで行った節もある。

 

渋谷のカフェではコーヒーをおごってもらったが、それには全く見合わない苦痛な時間だった。

 

話の要点はうろ覚えだが以下の通りだ。

 

  • サラリーマンの年収では老後を生き抜くことは不可能(よくわからない計算式と共に)
  • 自分で働くのではなくお金に働かせるべき(いわゆる金持ち父さん貧乏父さんのような話)
  • 投資で確実に儲けられるシステム(50万円)があるから購入がおすすめ
  • 仲間内でシステムを広げてみんなに自由な生き方をしてほしい

 

とまあこんな内容だったと思う。

 

ツッコミどころはいくらでもあるが、懸命な読者の方々にはあえて説明しない。

 

 

帰り道で、友人の彼から援護射撃のように、システムと組織のすばらしさを説かれたが、オレはすでに心そこにあらずだった。

 

はやめに断らないとめんどうなことになりそうだったので、帰りの電車でしっかりと断った。

 

何度か粘られたが最寄りの駅に着くまでには折れてくれた。

 

そこから勧誘の連絡は一切ない。

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

マルチ商法が大嫌いだ。

 

価値のない商品を買わせて、購入した額を回収するためには人を紹介して買わせるしかない。

 

お金がないと言うと一緒に学生ローンまでついてくるらしい。

 

必ず勝てる投資システムなんて存在しないし、仮にあったとしても変凡な大学生に50万で売ったりしない。

 

誰にも言わずに自分で儲け続けるか、孫正義にでも売ればいい。きっと大喜びで買うはずだ。

 

マルチ商法ねずみ講と違って犯罪にはならないらしいが、どう考えても詐欺でしかないわけだ。

 

買う方もバカだけど、大学生をターゲットに汚い商売をする詐欺師は骨の髄まで腐りきってるなと思う。

 

仮にたくさんの人を紹介出来て、大金を獲得できても、多くの人をだまして不幸にした金なんて縁起が悪すぎる。

 

 

彼以外にも数人から勧誘を受けたけど、ホントにどうしてしまったんだという気持ちしかない。

 

君がやっていることは友達を騙しているんだぞと、信頼を金に変えているんだぞと

 

それに気づいていないのだろうか、

 

まあ気づいていても気づいていなくても救えないなと思ってしまうよ。。。

 

 

 

 

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この話はもうずいぶん前の話だし、彼らともほとんど連絡をとっていないのでその後どうなったかはわからない。

 

ただ、この経験で傷ついたし、同時に考えさせられることがあった。

 

 

「友達」についてだ。

 

渋谷のカフェで話を聞いたのは勧誘を受けた一人からだけだし、それも途中で断ったので、実際に彼らの組織がどんなことをやっているのかは正直わからない。

 

でも少なくともオレはマルチだと確信したし、それを続けることが勧誘してきた彼らのためにはならないことも十分に理解していた。

 

理解していたけど、それを彼らには伝えなかった。

 

めんどくさい勧誘から逃げることに終始して、友達と向き合う勇気がなかった。

 

それはおかしいんじゃないかと言えなかった。

 

衝突して傷つくことやエネルギー消耗することが怖かった。

 

マルチ商法なんかにハマる奴はこっちから願い下げだという気持ちの反面、彼らと向き合って自分の意見をしっかり伝えるべきだったのではないかと少し後悔している。

 

もし自分が誤った道に進んだ時、友達にはそれを真っ向から指摘してほしいと思う。

 

オレはそれが出来なかったなと思う。

 

 

 

オレは良くも悪くも人に対して強い指摘が出来ない。

 

その場しのぎのバランスのとれたことを言ってしまう。

 

相手が間違っていると思っても衝突を避けるため、テキトーに笑ってごまかしたりしてしまう。

 

人間関係にとどまらず、目の前にある問題や課題、疑問から目を背けるのは結局遠回りをしてしまうし、むしろ悪い結果を生み出しがちだ。

 

 

こうした自分の態度が良くないと認識できたこと、そしてそれを少しでも直そうとしていることは進歩だと思うけど、それでも逃げてしまうことは良くある。

 

 

事なかれ主義で逃げるのではなく、目の前の課題に勇気を持って挑むことが一番の近道ということを忘れずに精進したいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S    悪徳マルチ ダメ ゼッタイ!

 

 

 

 

 

 

 

 

Mr.Taxi 歌詞考察

皆さんは少女時代というグループを覚えているだろうか。

 

 

数年前にめちゃくちゃ人気があった韓国初の女性アイドルグループだ。

 

 

私が中学生の時に彼女達は全盛期を迎えていた。

 

少女時代に対して熱狂的な友達がたくさんいたが、私は有名な曲を数曲知っている程度だった。

 

 

 

中学3年生の時だったか、友達に少女時代のライブに誘われた。

 

 

ライブに行く程好きなグループではなかったけど、流されやすい性格なので同行した。

 

 

ライブはとても楽しかった記憶がある。

 

 

正直言って主要メンバーの顔と名前しか知らないし、曲も数曲しか知らなかったが、人形のようなスタイルの女性達が踊る姿に夢中になって声をあげていたような気がする。

 

 

 

 

時は過ぎて、2020年。

 

 

今でもたまに少女時代の曲を聴く。

 

 

その中でも1番聴く曲かつ歌詞がなかなか面白いというかツッコミどころ満載な曲があるので、今回紹介したい。

 

 

 

 

「Mr.Taxi」だ。

 

 

少女時代の曲の中でも最も有名な曲の一つなので知っている人も多いかと思う。

 

 

 

今回は「Mr.Taxi」の日本語歌詞について掘り下げていきたい。

 

 

 

今回取り上げたいのは、歌詞の意味不明さと歌詞の比喩の素晴らしさだ。

 

 

 

まずは歌詞の比喩の素晴らしいについて取り上げたい。

 

 

 

この曲をよく聴く人は以下の二つのフレーズを聞いたことがあるだろう。

 

 

「ホラこっちを向いて少し警戒せよ 

 

あの左ハンドルより何倍も

 

I'm so fast」

 

 

「ホラよそ見してないで冒険セヨ

 

あの右ハンドルより確かよ

 

I'm so sure」

 

 

そうサビに入る前のフレーズだ。

 

 

 

まず一つ目の「左ハンドル」、

 

これは外国車の暗喩だ。

 

海外の自動車メーカーの車は基本的に左ハンドルだ。

 

そして日本を走る外国車はスポーツカーなどスピードが速い車のイメージが強い。

 

 

その意味から、歌詞では「あの左ハンドルより何倍も I'm so fast」つまり、「あの外国車より私は早く走れるよ」という意味だ。

 

 

 

二つの目の、「右ハンドル」

 

 

これは、左ハンドルと対比して日本車という意味だ。

 

 

日本の国産車は基本的に右ハンドルである。

 

 

歌詞では、「あの右ハンドルより確かよ I'm so sure」つまり、世界的に性能の良さが認められている日本車を「右ハンドル」と比喩して、「日本車よりも正確に走れるよ」という意味だ。

 

 

 

 

初めて意味に気づいた時は痺れた。

 

 

 

「左ハンドル」、「右ハンドル」という暗喩がオシャレだし、日本において馴染みのある形で比喩表現を用いながら、国産車と外国車を対比しているのが絶妙だ。

 

 

韓国語バージョンの直訳かどうかは知らないが、日本語歌詞を担当した人のセンスが光っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな感じで歌詞に関心していたのだが、全体を見るとよく意味がわからない。

 

 

 

ここからは歌詞の意味不明さについて語る。

 

 

 

まず、タクシーを題材にしてるのがよくわからない。

 

 

 

少女時代が歌う以上は彼女達が主語の歌と考えるのが自然だが、

 

 

曲中では、主語がタクシーに対して、車を通じて恋愛仕掛けをしていると解釈出来る。

 

 

 

「追いつけないスピードで

ねえ、ついてこれるの?」

 

 

 

タクシーに対してスピード勝負を仕掛けているのだろうか。

 

 

これは全世界共通であると思うが、基本的にタクシーにスピード勝負を仕掛ける人はいないし、仮に仕掛ける人がいてもタクシー運転手は法定速度を遵守しなければならないので勝負にはならないはずだ。

 

 

 

誘惑するほど魅力的なタクシードライバーがいたのだろうか。

 

 

 

「奪ってほしいの

You take me 今すぐ」

 

 

おっと、これは完全に恋愛の方で誘っている。

 

 

タクシーに車で勝負を仕掛けて、恋愛的に意識させようとしているのだろうか。

 

 

 

確かに流石のタクシードライバーも、少女時代レベルの美貌に誘われたら、仕事を無視して追ってしまう気持ちもわからんでもないが、中々稀有なシュチュエーションであることは間違いない。

 

 

 

 

「どうして不安なの?

And I don't know why, and I don't know why 」

 

 

どうして不安なのかわからないらしい。

 

 

 

いや、流石に不安やろ!

 

 

仕事中のタクシーが美女に車でスピード勝負を仕掛けられたら!

 

 

 

 

 

さらに、これだけ色々仕掛けておいて結局、、

 

 

 

「でも簡単にはいかないのよ」

 

 

 

らしい。

 

 

 

あんなけ誘っといて簡単にはいかせてくれないのか。

 

 

 

 

 

まあでも、左ハンドルより早くて右ハンドルより確かな運転技術相手にはなかなか簡単にはいかないか。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな感じで歌詞をよく見ると意外と面白いです。

 

 

 

 

 

 

 

あともう一曲、「paparazzi」

 

というまさかのパパラッチとの恋模様を歌った曲があるので、

 

 

記事を読んで少しでも気になった方はそちらも是非聴いてみて下さい。

 

 

では。

 

 

こいつめっちゃ腹立つわ。

ふと沸き起こった「こいつめっちゃ腹立つわ」という感情から「学校教育者とは。」ということまで語ります。

 

日課TikTokを見ていたところ、個人的にめっちゃ引っかかるというか、「何言ってんだコイツ」と思うことがありました。

 

まずは動画をご覧下さい。

 

 

https://vt.tiktok.com/U4d7QK/

 

 

元教師がツーブロック禁止について語る動画。

 

以下に文字起こし。

 

 

 

「なんでツーブロック禁止の学校が多いんですか?という質問をよく頂くんだけど、それについて明確な理由はないね。少なくとも私が教員として10年以上勤務していた中では、明確な理由を答えられた先生はいなかった。まあ髪型なんて本来は個人の自由だしね。ただ、入試の時だけマジメ風な髪型に直していくっていうのは、ちょっと筋が通ってないから、そんだったら最初からツーブロックなんかにするなよとは思うけどね。」

 

 

うわー、めっちゃツッコミどころあるわ。。。

 

とりあえず、話の流れに沿って一個一個言及していきますね。

 

 

まず冒頭部分。「なぜツーブロックが禁止なのか」について。

 

これは彼が言うように明確な理由はないと思います。

 

ツーブロックが流行り始めたのは、私が高校生くらいの頃だと思うので、5-8年前だと思います。

 

私が通っていた高校では特に禁止はされていませんでしたが、髪を染めるのは禁止でした。

 

「なぜ髪を染めてはいけないのか」「なぜツーブロックにしてはいけないのか」についての考察は後述します。

 

 

 

そして次に彼は、「本来は髪型は個人の自由」と発言しています。

 

 

これも全くもって同意。

 

 

別にどんな髪型でいようが本人の自由なはずです。

 

 

ここまでの発言は激しく同意出来ます。

 

 

ただ、この次から彼の発言がおかしくなるんですね。

 

 

「ただ、入試の時だけマジメ風な髪型に直していくっていうのは、ちょっと筋が通ってないから、そんだったら最初からツーブロックなんかにするなよとは思うけどね。」

 

 

うん。ちょっと待ってくれ。

 

一つずつツッコムよ。

 

 

 

まず、「入試の時に真面目な髪型に戻すのは筋が通ってない」との意見について。

 

 

 

これは全く理解が出来ないな。

 

 

 

そもそもその場に適した髪型、服装で行くことは当たり前のことであるし、常に入試に適した髪型、服装でいることが筋を通しているという理屈には全くならない。

 

 

 

 

派手な髪色の大学生が就活に向けて、髪型を整えることは筋が通っていないのか?

 

 

普段はパジャマでコンビニに行く人がホテルの会食にスーツで行くのは筋が通っていないのか?

 

 

 

彼の発言には「髪型は本来は自由」と言っておきながら、実は常に入試に適した髪型で居ないといけないという大きな矛盾をはらんでいます。

 

 

 

 

そして、「そんだったら最初からツーブロックなんかにするなよ。」という発言。

 

 

 

 

え?  いやいやお前ツーブロックやん!!!笑

 

 

え、ネタで言ってる? マジのやつ?

 

 

ツーブロックなんかに」って言うって事は、少なくともツーブロックが良い髪型だとは思っていないと捉えられるけど、

 

 

 

お前めっちゃツーブロックやん!!!

 

 

君は常に筋通っていない髪型じゃないかい??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と思いました。

 

 

 

 

 

 

まあ、実際のところ、これはめちゃくちゃ僕の意見なので、自分で読み返していてあんまり説得力のある意見ではないとも思います。

 

 

 

 

 

では僕が何故こういう意見を持つのか。

 

 

これを学校教育者という観点からさらに説明したいと思います。

 

 

 

 

 

 

実は僕は「教育」ということほど難しいことはないと思っているんですね。

 

 

人が人を育てるのは信じられないくらいの責任があると思います。

 

 

特にアイデンティティが確立していない小中高などでは特にです。

 

 

教育者は生徒がどのように成長していくべきかを常に考えないといけないと思っています。

 

 

 

でもそれってめちゃくちゃ大変ですよね。

 

 

 

僕は大学一年生の時に塾講師のバイトをしていたのですが、ツラくてやめてしまいました。

 

 

 

僕の発言一つ一つが生徒の学力や人格形成に繋がると思うと、生半可なことは出来ないと思ってしまったんですね。

 

 

 

でも同時に、生徒にそこまでの思い入れがないことも気づいたわけです。

 

 

 

決して高くない時給で、自分がフルコミットして教えるのは面倒だ。

 

 

でもフルコミットしないのは生徒に申し訳ない。

 

 

 

そう考えてしまったんです。

 

 

結局塾講師のバイトは半年で辞めました。

 

 

 

 

僕が見る限り、塾講師のバイトをイキイキと続けられる人は、僕みたいに考えすぎない人という印象がありました。

 

 

良い意味でも悪い意味でも無関心というか、一定の線以上に生徒にコミットする必要はないと考えていると思うんですね。

 

 

 

それが恐らくバイトとしての塾講師としては正解だとは思うのですが、同意は出来なかったので、辞めることにしました。

 

 

 

 

話がだいぶ逸れました。

 

 

元に戻します。

 

 

 

学校教育者についてですね。

 

 

 

僕は中学校の頃めちゃくちゃ怒られました。

 

 

 

学校で漫画を読んでは怒られ、カルピスを飲んで怒られ、iPod touchを持っていって泣くまで怒られました。

 

 

 

当時は、学校の先生は強大な存在だったのでなんの疑念もなくボロクソに怒られていましたが、今思い返すと、

 

 

「いや、俺あんなに詰められる必要あった?」

 

 

 

と思います。

 

 

特にそこから学びを得られた訳でもなく、くだらない学校のルールに違反しただけで、まるで犯罪者のような扱いを受けたなと思います。

 

 

 

もちろんルールはルールです。それがどんなにおかしくても守らないといけないものは守るべきです。

 

 

 

ただ、ペナルティがキツすぎじゃないかなということなんです。

 

 

 

中学生がちょっとルール違反したくらいで、あんなに熱く怒れる原動力はどこにあったんだろうと今は思います。

 

 

 

高校生の時も沢山怒られたけれど、理不尽に怒られたことは少なかったように思います。

 

 

 

 

 

この記事の結論として言いたいのは、教育者の「傲慢さ」です。

 

 

 

 

本来教育とは、先述したように、生徒の成長を常に考えて行われるべきです。

 

 

 

僕がiPod touchを学校に持ってきただけで泣くまで怒るということのどこに成長の余地があるでしょうか。

 

 

 

 

僕にはまだ理解が出来ません。

 

 

 

結局、教師のいきすぎた指導、つまり傲慢さだと思うんですね。

 

 

 

自分より明らかに下の立場の人間に対する傲慢、絶対的正義を振りかざしたパワハラだと思います。

 

 

 

TikTokの彼が自身もツーブロックなのに、ツーブロックにしている生徒に対して「筋が通っていない」と上からものが言えるのは明らかな傲慢だと僕は思います。

 

 

 

自分が偉いと思ってしまっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

教師と生徒と言えど同じ人間です。

 

 

教える教わるという立場が違うだけです。

 

自分が上、相手が下と考えるのはどんな場面でも危険です。

 

 

教育現場のみならず、相手のことを考えることと自身の行動を振り返ることが重要だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ここまで書いて

 

 

 

「お前めっちゃ中学校の先生に怨み持っとるやん!!」

 

 

 

という感じですが、

 

別にそうでもないんです。笑笑

 

 

 

 

もちろん好きな先生もいましたし、その時の経験があったから人格形成に問題が生じたとも思っていません。

 

 

 

 

 

 

ただ、怒られまくった中学校時代をただの美談にするのはちょっと違和感があると感じている次第です。

 

 

 

 

皆さんは学校教育者についてどう思いますか??

 

 

 

 

 

 

 

 

でも俺の周りは、

 

「中学校サイコー!!先生今でも大好き!!」

 

 

って感じの人多いからな。。。

 

 

 

あんまり伝わらないかな。。

 

 

 

俺がひねくれてるのかな。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

全力を尽くす事が何よりも大切 〜情熱のある三流であれ〜

「全力を尽くす事が何よりも大切」

 

よく聞くセリフだ。

 

もちろん言葉として理解は出来る。

 

だがその本当の意味に気づいたのは恥ずかしながら最近だ。

 

 

私はもともと物事を斜めから見るような斜に構えた性格がある。

 

人の評価は簡単に出来るのに、自分自身と向き合うのはすごく難しい。

 

自分を高く見積もりたくて、本気ではなかったと言い訳をする。

 

「俺が本気出したらもっと良い結果を出せるけど、テキトーにやったからこんなもん」

 

 

そんな事を本気で思っていた。

 

 

高校受験、高校の部活、大学受験、恋愛。

 

全てにおいて言い訳をしてきた。

 

「俺がフルコミットしてたらもっと結果が出ていた。たまたまやる気が出なかっただけだ。」

 

そう自分に言い聞かせて、「本気出せば出来る自分」という虚像をなんとかして守ってきた。

 

 

 

大きすぎる間違いだった。

 

齢22にして気づくのは遅すぎたかもしれない。

 

ただ自分とってはとても大きな気づきだった。

 

僭越ながらそのエピソードを語らせて頂きたい。

 

 

 

 

 

 

 

大学3年生の春。私は途方に暮れていた。

 

 

 

就活だ。

 

 

一浪している自分の周りは就活を終えた友達が多くいた。

 

 

有名企業に内定を貰った者が多くいた。

 

私が斜に構えている性格なのは先述の通りだが、意外と友達のことは尊敬している。

 

 

素直に凄いと思った。

 

 

「俺が間違いないと思った友達たちは、一流企業にも通用するのか。すげーな。」

 

 

同時に自分にフォーカスした時の絶望感たらなかった。

 

 

完全に自分のことを社会不適合者だと思っていたので、少なくとも一流企業への就職は絶対叶わないと思ったのだ。。

 

 

「あー、人生終わったわ、、、」

 

 

それまで就活のことをなるべく考えないようにしていた自分にとっては直視しづらい現実がそこにあった。

 

 

だが、残念ながら人生は終わってないので就活をしなければならない。

 

 

 

そんな事を考えてるうちにどんどんと時間は過ぎていった。

 

 

気付いたら秋になっていた。

 

 

 

「あー、マジでどうしよ。。。」

 

 

昔から出版社に憧れがあった。

 

小説、漫画、映画などのエンタメコンテンツが昔から好きだったので、それを創る側にまわりたいなと何となく考えていたのだ。

 

 

大学主催のマスコミセミナーなるものに顔を出してみた。

 

 

そこは自分が想像していたよりシビアな世界だった。

 

本気でマスコミを目指す人達の傍で、自分はただエンタメコンテンツが好きなだけだと悟り、とても居心地が悪かった。

 

 

結局、出版社にはエントリーしなかった。

 

 

 

 

周りの友達の助言に大きく助けられ、自分に合っているのはIT業界だと確信して、就活を続けた。

 

 

年が明けようとしていた。

 

 

年明けに誰もが知るIT企業のイベントに参加した。

 

 

魅力的で情熱があり親身な社員の方々、彼らの発言を少しでも吸収しようとする就活生。

 

 

凄く刺激になった。

 

「この人達と働けたら凄く楽しくて充実した毎日を過ごせるんだろうな」

 

 

本気で思った。 働くことにポジティブなイメージを持てたのは初めてだったかもしれない。

 

 

腐っていたのは自分だけで、世の中にはイキイキと働く人、それを目指す人がたくさんいるんだなと思った。

 

 

「でも俺大学で成し遂げたものなんて何にもないし、無理だよなぁ、、」

 

 

「でもチャレンジさせてもらえるチャンスがあるなら頑張りたいな、、」

 

 

斜に構えて、本気を出すことを恐れる自分が少し変われた瞬間かもしれない。

 

 

玉砕してもいいから頑張ろうと思えた。

 

 

 

 

本当に運良く上記のイベントに参加した企業から早期選考に参加させて頂く機会を貰った。

 

 

早期選考参加のメール受け取った時に一人でガッツポーズしていた。

 

 

「とりあえず土俵には立てたぞ!!」

 

 

面接前日は気が気じゃなかった。

 

 

その企業のCMが本当にカッコよくて好きで、前日に10回くらい見た。

 

 

風呂に入った時に震えが止まらないことに気付いた。

 

 

「マジか俺、めちゃくちゃ緊張してるやん笑

怖すぎるな。。」

 

 

「あれ?でもこんな感覚なかなかないぞ。もしかして俺今本当に本気だから震えてるんじゃないか?」

 

 

不思議と緊張をポジティブに捉えられた。気持ちの良い緊張だった。

 

 

斜に構えて失敗を恐れ、本気じゃないと言い訳をしようとする自分は何故かいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

30分の面接が終わった。

 

 

 

直近3日程で言いたい事を体系的にまとめていたのだが、言いたいことの8割は言えた印象だった。

 

 

 

 

「ふー、やりきったな。まあこれで落ちてたら俺より優秀な奴らがたくさんいるんだろう。そればっかりは仕方ない。」

 

 

 

面接の合否はよそに、自分がやりきったことに充実感を感じていた。

 

 

 

その日はよく眠れた気がする。

 

 

 

 

 

次の日の昼下がり、件の企業から電話がきた。

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

麻雀漫画の金字塔、「アカギ」に次のようなセリフがある。

 

 

少し長いが引用したい。f:id:JPTHELAZY:20200630012345j:image

 

 

誰だって成功したい。

 

でもその成否にとらわれて、情熱を失ってしまう事が1番まずい。

 

 

めちゃくちゃ俺の事だ。

 

 

結果の成否にとらわれすぎて自分が頑張った事を認められない。

 

 

繰り返すが大きすぎる間違いだった。

 

 

残念ながら、私には神が与えた才能は一つもない。

 

だが、才能はなくても情熱を持つことは出来る。

 

三流でも情熱さえあれば上等だ。

 

 

きっとその方がすがすがしく生きれるはずだ。

 

 

 

もう一つ。

 

 

これまた残念なことに人は弱い。

 

こと私自身において言えばそれは尚更顕著だ。

 

 

きっとブログまで書いたこの決意はいずれ風化していってしまう。

 

 

その事をまずは受け入れたい。

 

 

そして自分なりにではあるが、就活を頑張った事を忘れないようにしたい。

 

 

 

そして最後にもう一つ。

 

 

我らがスーパースター本田圭佑選手のTwitterのプロフィールには以下の記述がある。

 

 

「A challenger also, I'm a big supporter of dreamers who want their dreams to come true」

 

 

訳すと

 

「私はチャレンジャーだ。そして夢を追う人々の大きなサポーターでもある。」

 

 

ようやく少し理解が出来た。

 

 

懸命に頑張る人のカッコ良さが。

 

 

一生懸命頑張る人を側からあざ笑う事だけは絶対にしない。これは固く約束したい。

 

 

繰り返しになるが、そうした方がすがすがしく生きられる。

 

 

 

おっと失礼。

 

彼の言葉を借りるなら、

 

 

 

「きよきよしく」

 

 

 

だった。

 

 

 

PCR検査 京都府でドライブスルー方式導入へ

www.kyoto-np.co.jp

 

京都府新型コロナウイルスの感染確認手段のPCR検査にドライブスルー方式を近く導入することを明らかにした。ドライブスルー方式は他国でも導入されている方法で、他の検査方式に比べ、効率性の向上や二次感染の防止が期待できる。

 

今回の論点

  • なぜ今導入なのか
  • PCR検査数が少ないことが指摘される日本で検査を増やせないのか
  • 楽天などが発表した民間の簡易検査

 

先述したように、ドライブスルー方式では効率性の向上や二次感染の防止が期待できるが日本ではなぜ導入が遅れたのか。この問題を考える上ではまず日本全体の検査方針を考える必要がある。日本では初期から、PCR検査を受けるまでのステップが多いことや感染源を追うクラスター対策に重きを置いたため、検査数が少ない。自身に新型コロナウイルスと思われる症状があった場合も、まずかかりつけ医に相談し、医師が検査を受けるべきと判断した場合のみ検査に進む。また、陽性が確認された場合は濃厚接触者を追い、クラスターの発生を検討する。こうした方式の利点としては、医療機関における二次感染を防ぐ仕組みや、疑わしき者を合理的に追うことが出来る。しかし、昨今の感染者増大や、感染源を追いきれない現状では、PCR検査の数そのものを増やすべきとの指摘が多い。しかし、PCR検査を増やせないことには一つ大きな問題がある。検査を行える人に限りがあることだ。医師や臨床検査技師などの資格を持っている人でないと検査を行えない。こうした特別資格は急に数を増やすことが非常に難しい。また、楽天が自宅で簡単に検査が出来るキットを販売したが、資格がない市民がいたずらに検査を行うことは新たな混乱を生む可能性が高い。結局我々市民が出来ることは三密を避け、手洗いうがいを徹底し、マスク着用を必須とする、これらを積極的に行い、感染拡大防止の一助となることしかなさそうだ。

コロナ禍でも営業を続けるパチンコ店 社会的責任は?

www3.nhk.or.jp

 

新型コロナウイルスの感染拡大に対応するために発出された緊急事態宣言。各自治体の長は事業者に対して休業要請を行える。世間が自粛ムードに包まれる中、三密の温床であるパチンコ店では営業を継続したり、再開している店舗が目立つ。こうした背景のもと、小池都知事は休業要請に応じない店舗の店名公表に踏み切ることを発表した。

 

 

今回の論点

 

4/7に発出された緊急事態宣言、人と人との接触を確実に7割、極力8割削減させるという目標のもと、三密に関わる商業施設などは休業要請を出された。こうした情勢の中、休業要請に応じないパチンコ店が問題となっている。なぜパチンコ店は休業しないのか。営業を続けるパチンコ店のインタビュー記事では、店舗の家賃やパチンコ本体のリース代、従業員への人件費を考慮すると営業せざるを得ないとの主張があった。しかし、これは他の商業施設も条件が同じである。パチンコ店が営業を継続する実質的な原因として、営業をしていれば客が来ることだと考える。他の三密が起こり得る商業施設、例えばカラオケや映画館などでは世間の自粛ムードから集客が難しい。しかし、ことパチンコ店においてはギャンブル依存症の客や、社会問題へのリテラシーが少ない客が来店をやめないため、営業を継続するのではないだろうか。そもそもパチンコは公営ギャンブルではなく、法の網をくぐって行われるグレーな産業だ。パチンコの関連団体には警察庁の上層部からの天下りが多いことや、パチンコ店の組合のアドバイザーには国会議員が名を連ねているという話もある。今回のコロナ騒動でパチンコ店の社会的責任が問われることとなり、この利権にまみれた20兆円産業が白日のもとにさらされ、議論が活発化することを願う。

 

 

WHOへの責任追及。テドロス氏はどうなる?

 

headlines.yahoo.co.jp

 

米国がWHOへの資金拠出を停止すると宣言したことに対して、WHOのテドロス事務局長は米国への再考を呼びかけ、自身の辞任については否定した。

 

 

今回の論点

  • なぜ米国は資金拠出を停止したのか
  • WHOと中国の関係性

 

 

まず、米国がWHOへの資金拠出停止を宣言した背景には、中国とWHOの密接な関係性がある。WHOの事務局長であるテドロス氏はエチオピア出身であり、エチオピアには中国の一帯一路戦略のもと、中国が多くのインフラ事業を手掛けており両国は密接な関係性にある。テドロス氏はエチオピアの行政の要職を経験しており、中国との癒着が問題視された。実際に新型コロナウイルスが流行し始めた今年初旬に、人と人との感染は確認されてていないなどとの発表をしており、世界保健機関として世界をミスリードした責任を問われている。また、世界的な感染症流行を意味するパンデミック宣言も3/11に発表されており、後手後手の対応に非難が集中している。新型コロナウイルスの発生源が武漢であることからも、WHOと中国の癒着はさらに物議をかもしており、こうした経緯の中でトランプ大統領が責任追及という意味で資金拠出の停止を宣言した。ただ、WHOの責任追及は時期尚早であると考える。新型コロナウイルスの感染拡大は世界でまだ広がっており、まずは感染を収束させることが先決だ。世界で流行する感染症に対応するためには各国のグローバルな協力が必要不可欠だ。アメリカは世界最大の感染拡大国となってしまったこととすり替えるようにWHO、中国を批判しているようにも見える。自国の利益のみを追求するナショナリズムがさらなる世界の分断を進めないことを祈るばかりだ。