JPTHELAZYのブログ

大学生の雑記ブログです。日常生活の出来事や気になっているものを取り上げていきます。

コンビニの夜勤と僕

自宅から徒歩五分圏内に数件コンビニがある。

 

私は言わずもがなヘビーユーザーだ。

 

特に夜勤の時間帯に多く利用させて頂いている。

 

コンビニのヘビーユーザーの方には理解が得られるかもしれないが、たくさん通うようになると店員さんの顔を覚えていくようになる。

 

特に自宅から徒歩一分のファミリーマートの夜勤の方はほぼ全員把握している自負がある。

 

 

なぜ私が夜勤の時間帯に多く訪れるのか。

 

それは酒とたばこのためだ。

 

 

夜に一人で家で酒を飲むとどんどん酒が進んでしまう。

 

酒が尽きたタイミングでどうしてもコンビニに立ち寄ってしまうのだ。

 

 

夜勤の人達を覚えていくに従って、自分も認識されているのではないかという思考が生まれる。

 

 

自分のバイト先であっても、よく来る人は記憶しているし、この人は普段何をしているのかということに思考を巡らせることは珍しくない。

 

 

自分もそうした対象であることを恐れているのだ。

 

 

「こいつはいつも深夜に来ては、酔っぱらいながら酒を買い足す。」

「マジでただのクズだな」

 

 

と思われているのではないかと考えてしまって本当に怖い。

 

そのため、特に行きつけのファミリーマートではめちゃくちゃ愛想を良くしようと心掛けている。

 

 

深夜に酒を買いに来る程度にはクズだが、愛想はある程度あるから許してやろうという枠を狙っているのだ。

 

 

事実、ファミリーマートではかなり愛想よく振る舞うことを心掛けているので、主観的に店員さんからの対応は良いように感じる。

 

 

ただ私はクズだと認識されることを強く恐れているため、時にあえて違うコンビニを利用することもある。

 

それがセブンイレブンだ。

 

 

私の家の近所にあるセブンは体感的に従業員の方の回転が早く、あまり顔なじみの店員がいない。

 

 

そこに狙いをつけ今夜はセブンイレブンで酒を買うことにした。

 

空は雪を表現していた。

 

雪の影響で次の日のインターンシップが中止になっていた私は合法的に酒を飲める夜を謳歌していた。

 

 

プレミアムモルツの500mlと金麦の500mlを持ちレジに向かう。

 

レジにはアジア系の店員さんがいた。

 

 

 

アジア系なら酒には寛容であるだろうという圧倒的偏見を潜在意識に持っていた私はどこか強気だった。

 

 

レジに酒を置くときの罪悪感は全くなかった。

 

 

「オレはクズだとは思われていない」

 

そんな自己意識が自分に自信をもたせた。

 

 

家に帰り酒を飲む。

 

 

イヤフォンで音楽を聴きながら酔いを嗜む。嗜好だ。

 

 

社会の枠組みの中での試行錯誤に苦しみ、紆余曲折の思考を張り巡らしながらそれでも前に進もうとしている自分とは別の存在になれたような気分になる。

 

 

そんな気分を味わう内に酒はなくなっていた。

 

 

深夜三時のセブンイレブン、客はもちろんいない。

 

 

お気に入りの発泡酒を手に取りレジに向かう。

 

 

酔いとアジア系の人が酒に寛容であるという偏見が私に恐ろしい行動を起こさせた。

 

 

レジで会計の際、店員さんにめちゃくちゃ笑顔で

 

 

「頑張ってください!!」

 

 

と言ってしまったのだ。

 

 

アジア系の人ならばフレンドリーな対応をしてくれると思ったが、滅茶苦茶怪訝な顔をされた。

 

 

(なんやこの酔っぱらいは)的な。

 

 

店員さんからの印象を気にしすぎる自分にとっては、酔いを醒ます要因として十分すぎた。

 

 

 

「あ、やらかした、」

 

 

 

帰宅後の酒はまずかった。

 

 

 

それからというもの、深夜の時間帯にセブンイレブンを訪れることはなくなった。

 

 

自分自身を出禁にした。

 

 

 

 

「ごめん、もうセブンイレブンには行けないんだ。。。」

 

 

 

 

アジア系の店員さんは美人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜に考えること

深夜は孤独だ。

 

街は寝静まり、俺が何をしていようが世界は許容する。

 

大学に通いはじめ生活リズムは崩壊した。

 

授業に行かずとも何とかなる制度を多分に活用し、深夜まで起きていることが多くなった。

 

別に何をしているわけでもない。

 

YouTubeや映画、漫画などを自堕落に消費し、眠くなったら寝る。

 

次の日に起きねばならぬ用事があるなら起きるし、ないなら昼過ぎまで寝ている。

 

モラトリアムの謳歌と言えば聞こえがいいが、ただのクズである。

 

そんな社会に出るまでの人生の夏休みを過ごす自分にも就活が訪れた。

 

なんだかんだで社会には出なければならない。

 

成人した以上は人生の責任は自分に帰属すると考えているし、いつまでも家に居座るのも居心地が悪いだろう。

 

これまで経済的には家庭に依存し、社会からの恩恵を受けるのみだった者が、それを社会へ還元する者へと進化しなければならないのだ。

 

 

しかし一見憂鬱に見える就活も飛び込んでみると意外と楽しい。

 

今までのルーティンワークの生活とは異なり、色々なところに出向いては様々な人と出会える。

 

 

インターンシップで出会った女性と二回ほどデートし、その後連絡がつかなくなったなんていう笑い話もある。

 

 

自分の同世代は学年で見ると100万人くらいしかいないらしいが、こんなにも世界は広く色々な人がいるのかと実感できるのはとても面白いことだ。

 

 

深夜に話を戻そう。

 

 

一般論からして深夜に考え事はしない方がいいらしい。

 

ネガティブな考えが生まれやすいらしいからだ。

 

「オレはこんなところで何をしているんだろう」

 

と考えることがある。

 

 

たまたま東京に生まれ、生活に不自由なく暮らせているのは大変幸運なことだが、本当に自分が望んでいることなのかわからなくなるのだ。

 

自分のやらなければならないタスク、考えなければいけない将来に嫌気がさして

 

「あー、田舎で晴耕雨読の生活が送りたい、逃げ出したい」

 

なんて考えてしまう。

 

 

結論から言うとないものねだりなのだと思う。

 

 

きっとオレは田舎で生活し始めたら物足りなさを感じるだろうし、都会に戻りたくなると思う。多分。

 

 

しかし、モラトリアムの最終段階として一度自分の中で答えを出しておきたい。

 

 

就活が終わったら、電子機器を全て家に置いて、読みたい小説を数冊と見たい映画を持ち、二週間ほど俗世から解放されてみたい。

 

 

プチ隠居生活だ。

 

 

その生活の中で自分がどんな考えを持つか興味がある。

 

もしかしたら、都会の生活に本当に疲れていて、帰らぬ人になるかもしれないし、ないものねだりでしかなかったことを改めて悟り帰路につくかもしれない。

 

どちらにしても答えが出れば幸せだ。

 

しょせんは深夜の戯言の延長でしかないがワクワクしている。

 

 

 

 

 

 

人生は割と楽しい。

 

 

色々とめんどくさいことも多いが、自分の感情を観察していると意外と面白いものだ。

 

 

人生は暇つぶしだと言う人がいるが割と共感できる。

 

 

人生の意味は自分しか決められないし、暇つぶしはどうせなら楽しい方がいい

 

 

将来の期待と不安が絶妙にブレンドされる中で、自分をさらに知りたい。

 

 

そしたらこの暇つぶしはもう少し面白くなるのではないだろうか。

 

 

【映画評】アメリカン・サイコ 殺人鬼の本当の苦悩とは?【解説】

容姿端麗、文武両道、全てを手にした主人公の苦悩を描いた作品は多い。

 

今回紹介する映画「アメリカン・サイコ」も例外ではない。

 

しかし、この映画は他とは違う一風変わった着眼点で、社会風刺にまでその触手を広げている。

 

今回は、目に見える映画評ではなく、その内実を自分なりに分析したい。

 

なおこの記事は、「アメリカン・サイコ」のネタバレを含みます。また、抽象的な概念での分析になるので、見終わった方のほうが理解しやすい内容になっていると思います。

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あらすじ

80年代のニューヨーク。人々は好景気に沸いていた。主人公パトリック・べイトマンウォール街に勤める27歳の一流エリートマン。普段から体の鍛錬と美容を怠らず、筋肉ムキムキの美形イケメンだ。仕事場では自分のオフィスと秘書を持ち、彼女は社長令嬢。すべてを手にしたかに見えた彼には、物質では満たされない心の渇きを感じていた。彼は心の渇きを満たすため、殺人に取りつかれるようになる。どんどんエスカレートしていく彼とそれを取り締まるべき社会。二つの関係性は誰も予想出来ないラストへと向かっていく。

 

さあどうでしょう。どこかで見たことがある設定だと思います。

しかし、この映画は先述のように、一風変わった切り口をラストに用意しています。

それはなんなのか?

 

そのまえにまずは、オレ的出演者紹介を行いたいと思います。

オレ的出演者紹介

今回紹介したい出演者は三人。

順にオレ的に紹介していきます。

クリスチャン・ベール

なんと言ってもまずは主人公クリスチャン・ベール

私も敬愛するダークナイト三部作で主人公バットマンを演じ切り、他の有名映画でも重要な役を担っている。彼のすごさはやはり役作り。

 

映画「マシニスト」ではガリガリの主人公を演じたと思えば、

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続いて公開された「バットマンビギンズ」ではこの体型に仕上げるというストイックぶり

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 今回の「アメリカン・サイコ」でも、先述の通りの筋肉ムキムキイケメンを演じており流石のストイックさを見せつけた。

ジャレット・レト

次に、主人公のライバル役で登場するジャレット・レト

彼は「スーサイド・スクワッド」でジョーカー役を演じており、クリスチャン・ベールバットマン繋がりがある。

 

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スーサイド・スクワッド」ではご覧のようにヤバい奴だが、今回の映画ではエリートマンを演じている。

ただ、「アメリカン・サイコ」ではパトリックの無残な犠牲者になってしまう、、、

ウィレム・デフォー

そして最後にウィレム・デフォーだ。

彼は今回殺人事件を追う刑事役で登場するが、この人もヒーロー映画に出演している。

 

初代スパイダーマンの敵役だ。

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そんな感じで、今回は図らずもヒーロー映画出演者が三人も集合した。

出演者紹介はこの辺にして、次は物語のメッセージ性に迫りたいと思う。

アメリカンサイコからのメッセージ

アメリカン・サイコ」が映画を通じて言いたいことは何だったのか?

今回は作中を通して描かれる主人公パトリック・べイトマンの苦悩とラストにかけて投げかけられる社会風刺を取り上げたいと思う。

 

殺人鬼の苦悩

一般人から見ればパトリックは全てを手に入れているように見える。

しかし彼は、自分の絶対的な存在を評価するのではなく、他人との比較つまり相対的評価でしかその価値を認識できていない。

仕事仲間の名刺が自分よりセンスが良いと感じると汗が止まらなくなるし、自分より早く高級レストランを予約されると激高する。

作中では自分自身についてモノローグで以下のように語っている。

パトリック・べイトマンという概念はある。抽象的な概念は。だが本当の俺というものはない。存在はするが幻影のようなものだ。俺と接し気が合いそうだと感じるかもしれないが、それは本当の俺ではない。

相対的評価の中で生きてきた彼には、本当の自分自身というアイデンティティを確立できていないのだ。

こうした苦悩を抱える彼は殺人というある意味絶対的なものに価値を見出す。

彼は初めて、相対的評価から離れた場所で自分の快楽を見つけたのだ。

しかし、殺人は社会的制裁からは逃れられない。

彼は、殺人中毒の自分が捕まってしまうことを覚悟する。

 

社会風刺

止まらない彼の殺人衝動と増えていく犠牲者。

このままでは捕まると確信したパトリックは知り合いの弁護士にすべてを告白する留守電を残した。

次の日、全てを覚悟して弁護士に会うが、冗談だと笑い飛ばされてしまう。

しかも、その弁護士は彼をパトリックだとも認識していなかった。

ここで作中を通じてのテーマが明らかになる。「無関心」だ。

弁護士は自分のクライアントに当たるパトリックを認識しておらず、彼の告白に耳を傾けようとしなかった。

パトリックは衝動的に殺人を行い、その証拠は明らかだ。しかし、刑事をはじめとする捜査機関は彼が犯人だということに少しもたどり着けない。

殺人現場として利用していた部屋は、何者かによってきれいに掃除されていて、何事もなかったかのように売りに出されている。

 

パトリックは自分にとって初めて絶対的な事柄であった殺人と向き合っていた。

社会的に許されることではないし、裁かれることを覚悟していた。

しかし、社会は殺人に対してすら、無関心だった。

 

結局彼は、自身の罪を裁かれることすらなく、強制的に普段の生活に戻ることになった。

 

彼は結局自分を絶対的には見てくれない社会に絶望して、映画は終わる。

 

 

 

感想

映画を通してのテーマである「無関心」はあくまで私が感じたものです。つたない文章ではあると思いますが、みなさまに伝わったでしょうか?

見終わった時は、正直全く理解できませんでした。ネットにあるレビューを見つつ、自分にとっての解釈がようやくまとまった形です。

現実世界では絶対に見つかるような殺人の数々を映画では、社会の無関心を風刺的に表現し、パトリックが捕まることはありません。

本映画の題名「アメリカン・サイコ」はパトリックのサイコ殺人とアメリカ社会の無関心が起こす異常性に対するサイコという意味でダブルミーニングだと思います。

 

結局物語では、エスカレートするパトリックの殺人に対して、なにも起こらないという、本人にとって最も消化不良の結果をシニカルに表現しています。

 

映画劇中で唯一の救いは、秘書ジーンの存在でしょう。

彼女は他の登場人物と異なり、パトリックの本質を見ようとしていました。

パトリックのデスクの中にある彼が書いた殺人に関するノートの描写を見つけた彼女は、とても悲しい顔をしていました。

 

よく見る設定のサイコキラー映画と思わせて、社会風刺を盛り込んだ本作はとても皮肉である意味笑える映画に仕上がっていると思います。

 

 

2019年12月14日現在、ネットフリックスで視聴できます。

 

 

 

保険業界の彼とオレ

 

二月に実施されるインターンの一次選考会に行った。

 

損害保険大手の会社だ。

 

一浪している自分の周りには様々な企業の内定者がいる。そのうちの一人に紹介してもらった。

 

一応彼の後輩枠ということで、選考に少し影響があるらしい。

 

朝の満員電車にスーツで乗り込む。

 

サラリーマン、学生、その他自分のアイデンティティがある者と比べて、リクルートスーツを着る者は、まだ何者でもないのだ。

 

そんなことを考えてるうちに電車は新宿に到着した。

 

新宿から15分ほど歩くと、大きなビルが見えてきた。

 

流石は大手企業だなと感じながら会場の控室に向かう。

 

控室にはすでに数人が待っていた。

 

選考の詳細にはグループディスカッションとの記載があったので、今日はこの人達とディスカッションをするのかなどと考えていた。

 

隣の女性はノートに書かれた何かを必死に読んでいた。

 

自分の志望動機を暗記しようとしているのか業界分析を確認しているのかは定かではなかったが、彼女からはいわゆる本気度を感じた。

 

周りを見れば他の人達も同じようにノートと必死ににらめっこしていた。

 

かくいう俺はカバンの中身もほぼ空っぽといっていいため、スマホで時間を何回か確認する以外は、虚空を見つめていた。

 

周りの人に感心して、こういう人たちが受かっていくのだろうなと感じつつも、なにもしていない自分を恥じる気分でもなかった。

 

時間が来て、人事の人が入ってきた。

 

個別に名前を呼んだり、二人一組で呼んだりしていた。

 

 

(あれ、グループディスカッションじゃないのか?)

 

と考えながら自分の名前が呼ばれるのを待った。

 

 

自分の名前は身長178cmくらいのさわやかな青年の名前と共に呼ばれた。

 

人事の誘導で会場に行くと、面接官と志望者が対面で座るブースがいくつかあり、簡易面接のようなものが同時に行われていた。

 

グループディスカッションではないことを完全に悟った自分は焦りが出ていた。

 

前日の夜に、損保業界の研究をまとめたサイトを一読しただけの自分に話せることなどひとつもなかったからだ。

 

(マジか、キッツ、、)

 

 

さわやかな彼と横並びに座り、簡易面接が始まった。

 

 

どうやら、インターンの志望動機と学生時代に頑張ったことを聞かれるらしい。

 

 

さわやかな彼が最初だった。

 

「私が御社のインターンシップに応募させていただいた理由は二つあります、、、」

 

 

何度も練習したことが伺えるようなきれいな志望理由だった。

 

改めて本気度を感じる。

 

 

強いて弱点をあげるならば、オリジナリティにかけるところだろうか。

 

どこかで聞いたことがある話だった。

 

 

次にオレの番になった。

 

彼と完成度を勝負しても結果は火を見るより明らかなので、自分が思っていることを正直に話すことにした。

 

 

自動運転技術による安全性の向上と保険料の低下、災害大国日本で保険を売る上での今後の方針などに興味があると言った。

 

 

 

学生時代力を入れたことはめっちゃ適当に話してしまった。

 

「正直俺はこんなもんです」と正直に言ってしまうほうがいいのではと現時点での自分は考えている。

 

 

 

面接が一通り終わり、面接官の方がフィードバックをくれた。

 

さわやかな彼には、文字通りさわやかで印象が良いと言っていた。

 

(まあ、そうだよな、いいやつそうだし)

 

 

そして、俺には「今まで人事をやってきたが、初めて見るタイプ。謎の落ち着きを感じる」という趣旨のことを言われた。

 

 

正直びっくりした。面接にも慣れていないし、横のさわやかな彼に圧倒されていた自分にはあまりしっくりこない言葉だった。

 

 

面接が終わり、エレベーターでさわやかな彼と同じになったので声をかけてみた。

 

 

相変わらずの好青年で話は弾んだ。

 

 

まさかの同じ大学だった。

 

 

不思議な縁のおかげで新宿までの15分は退屈しなかった。

 

 

彼は生命保険業界が第一志望らしい。

 

 

話を聞くうちに保険業界のさわやかな好青年にますます見えてくる。

 

それを彼に伝えると少し恥ずかしそうにしていた。

 

 

きっと彼にも色々困難はあるのだろう。

 

 

でも彼はきっと保険業界をさわやかに駆け抜けていくのだろうと感じた。

 

 

 

(オレはどうなるんだろう?)

 

 

素朴な疑問と不安。

 

 

彼と別れた後、俺は新宿の虚空をもう一度見つめた。

 

 

一ヶ月に一度くらい彼を思い出すんだ

一ヶ月に一度くらい彼を思い出すんだ。

 

 

 

あれからそろそろ2年が経とうとしている。

 

 

真冬の1月のことだった。

 

 

 

大学入学と同時に始めた塾講師が合わず、半年で退職した僕には職がなかった。

 

 

 

 

大学も真面目に行く方ではないし、ニートと形容にするに躊躇いのない状態だった。

 

 

 

 

何か始めなければという気持ちに従い、手始めに派遣のバイトをやってみることにした。

 

 

 

 

長期のバイトがやりたかったけど、なんとなく怖いもの見たさというか、

 

 

 

言うならば、ウシジマ君の世界が見たいような気持ちで始めた。

 

 

 

 

 

まず、引越しと配送のバイトをやってみた。

 

 

 

そこは単純な地獄だった。

 

 

 

 

圧倒的肉体労働とドライバーからの心ない怒号を受け、これが底辺かと痛感した。

 

 

 

1日働く分稼ぎはいいものの、こんな仕事は二度とやりたくないと思った。

 

 

 

 

しかし、三回出勤しないと日払いで給料を貰えない制度だったため、仕方なく川崎のライン工場で働くことにした。

 

 

 

 

そこで彼と出会ったんだ。

 

 

 

初めて川崎の工場に行くということで、派遣会社から何度か経験がある彼と一緒に行けと指示が出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

川崎駅に着き、集合場所の目印である時計塔の下で彼と合流した。

 

 

 

 

彼は三十代中盤の男性だった。

 

 

身長は160cmくらいで、恐縮だがかっこいいとは程遠かった。

 

 

 

彼の案内で日雇いで訪れた人々が乗るバスに乗り、華やかな川崎駅から陰鬱な雰囲気が漂う南部の工場地帯へと向かった。

 

 

 

バスを降りたところで彼が言った。

 

 

「一度工場に入ると退勤するまで外には出れないのでコンビニとかでお昼ご飯を買った方がいいですよ。」

 

 

「あ、なるほど。ありがとうございます。」

 

 

100%の良心で教えてくれた。

 

 

思えば彼は終始僕に対して敬語だった。

 

 

どう見ても年下の男で1日限りの付き合いなのに彼はとても丁寧に接してくれた。

 

 

 

引越しや配送のドライバーとは全く違う対応だった。

 

 

 

 

そうこれは、彼がどんなに素敵な人だったかという話なんだ。

 

 

 

 

始業前、昼休み、15分休み、帰りのバス。

 

 

彼と色んなことを話した。

 

 

人見知りな僕だか、彼との話は楽しかった。

 

 

 

ライン作業をしていて理不尽に怒られたこと。

 

大学生で怖いもの見たさで派遣のバイトをしていること。

 

派遣バイトのつらさ。

 

 

色々話した。

 

 

彼も彼自身の話をしてくれた。

 

 

バンドマンで音楽を志していたこと。

 

 

夢破れて就職したこと。

 

 

職を点々として今は次の仕事が見つかるまで派遣のバイトをしていること。

 

 

彼女のこと。

 

 

お互いの趣味の共通項についても話した。

 

 

Youtubeで配信をしているドラマーのむらたたむのこと。

 

 

Jリーグのこと。

 

 

彼はガンバ大阪のファンだが、FC東京のレジェンドの石川直宏が引退する時は涙を流したこと。

 

 

 

 

 

 

 

僕の稚拙な文章で彼の魅力がどれだけ伝えられただろうか。

 

 

 

本当に彼は良い人だったんだ。

 

 

僕は不思議でたまらなかった。

 

 

派遣のバイトを3つやっただけで、世の中の悪意のほとんどを見たような気分になり、大人への不信感が強まっていた。

 

 

でも彼はそんな状況にずっと身を置きながらも優しさを忘れずに、今日限りの付き合いの人間に親切に接してくれる。

 

 

 

どうしたらこうも優しくなれるんだろう。

 

 

 

宗教には入っていないが、前世の徳は本当にあるのかなと思うほどだった。

 

 

 

帰りのバスを降りる頃には、僕は彼が好きになっていた。

 

 

飲みに誘いたい気持ちもあったが、彼に無駄なお金を使わせてはいけないなと思った。

 

 

 

川崎駅の改札で別れを告げた。

 

 

もう名前も思い出せない。

 

 

それきりの付き合いだった。

 

 

でもそれから一ヶ月に一度くらい彼のことを思い出すんだ。

 

 

 

今何をしているんだろうか。

 

 

仕事は見つかったかな。

 

 

 

 

でも全ていらぬ心配だろう。

 

 

彼はきっとどんな状況でも人に優しく、愛を振りまける人だ。

 

 

 

 

きっとどこかで、周りの人や彼女を幸せにしているに違いない。

 

 

 

 

 

富豪にあやかるウーバードライバー

ウーバーイーツのドライバーをやる奴は馬鹿だ

 

 

それが1週間前までの僕の意見。

 

 

「好きな時間に働ける最も自由な仕事」と銘をうって若者を集め、最低時給以下で自転車を走らせ、マージンを抜く。

 

 

悪徳企業に決して魂を売るものかと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイト先の先輩「今、紹介制度でウーバーイーツ入ってもらって、一ヶ月で 50回配達すると紹介料で80000円入るのよ。俺が30000円で50000円あげるから始めない?」

 

 

 

 

 

悪徳企業に魂を売らぬことを誓い、ドライバーを蔑んでいた男が間髪を入れずに言った言葉

 

「やりましょう」

 

 

 

 

 

こうして金で魂を売った男のウーバーイーツドライバーとしての生活が始まった。

 

 

 

 

 

 

結果から言うとウーバーイーツ ドライバーはそんなに悪くない。

 

 

 

 

お店に食べ物を取りに行き、それを客に運ぶ。

 

簡単な仕事だ。

 

 

時に、「え、そこまで行くんすか、、、」みたいなこともあるが、

 

 

 

まあ、許容出来る。

 

 

 

 

 

そして最もありがたいのが、富豪の存在だ。

 

 

 

 

 

基本的にウーバーイーツ で運ぶ距離は、家から歩くとまあまあの距離があってだるいので頼む。

 

 

 

というのが一般的だ。

 

 

 

 

 

ただ、どう考えても歩いて取りに行けばいいじゃん!

 

という距離でもウーバーイーツに注文する富豪が少なからずいる。

 

 

 

家から1分の松屋で食べ物を受け取り、そこから30秒の家に配達するなんてこともあった。

 

 

 

 

本当に富豪の皆さまには感謝しかない。

 

 

 

短い時間で配達回数を稼げるし、体力的にもノーダメージだ。

 

 

 

彼らは経済の回し方をわかっているな。

 

 

 

 

 

現在の配達回数は17回。

 

 

残り33回を15日以内に達成しなければならない。

 

 

 

 

50回達成した時、僕はウーバーイーツを続けるのだろうか。辞めるのだろうか。

 

 

 

 

 

多分辞めるんだろうな。

新聞社説風

「日韓の対立は時を追うごとに激しい様相を見せている。政府間の対立はお互い妥協点を見つけることが出来ず、意地の張り合いが続いている状態だ。

▼先日、韓国からローマへの便に乗った。トランジットで韓国に数時間滞在しただけだったが、日本での報道を見ていたので、少なからず緊張感があった。日本製品不買運動など、韓国の世論は対日傾向が強まっている。差別的な扱いを受けるのではと不安があったのだ。ただ、出会った韓国の人はそういった様子は一切見せなかった。CAはもちろんのこと、飛行機に乗る韓国人は日本人と近い奥ゆかしくて優しい感性を持っているように感じた。窓際と真ん中の席に座っていた韓国人夫婦はトイレに行く際、通路側に座る私に迷惑がかからぬよう2人同時に席を立ち、同時に戻ってきた。その対応は配慮があってとても気持ちが良かった。

▼メディアは過激なものを載せたがる。過激なものは人の目を惹くし、多くの注目が集められる。日韓で過激な活動をしている者は一部だと留意しなければならない。政府間の対立が続く中、国民同士の対立はどうしても避けなければならない。メディアの報道に踊らされず、1人1人の人間として相手をリスペクトすることが一層求められている。」