深夜に考えること
深夜は孤独だ。
街は寝静まり、俺が何をしていようが世界は許容する。
大学に通いはじめ生活リズムは崩壊した。
授業に行かずとも何とかなる制度を多分に活用し、深夜まで起きていることが多くなった。
別に何をしているわけでもない。
YouTubeや映画、漫画などを自堕落に消費し、眠くなったら寝る。
次の日に起きねばならぬ用事があるなら起きるし、ないなら昼過ぎまで寝ている。
モラトリアムの謳歌と言えば聞こえがいいが、ただのクズである。
そんな社会に出るまでの人生の夏休みを過ごす自分にも就活が訪れた。
なんだかんだで社会には出なければならない。
成人した以上は人生の責任は自分に帰属すると考えているし、いつまでも家に居座るのも居心地が悪いだろう。
これまで経済的には家庭に依存し、社会からの恩恵を受けるのみだった者が、それを社会へ還元する者へと進化しなければならないのだ。
しかし一見憂鬱に見える就活も飛び込んでみると意外と楽しい。
今までのルーティンワークの生活とは異なり、色々なところに出向いては様々な人と出会える。
インターンシップで出会った女性と二回ほどデートし、その後連絡がつかなくなったなんていう笑い話もある。
自分の同世代は学年で見ると100万人くらいしかいないらしいが、こんなにも世界は広く色々な人がいるのかと実感できるのはとても面白いことだ。
深夜に話を戻そう。
一般論からして深夜に考え事はしない方がいいらしい。
ネガティブな考えが生まれやすいらしいからだ。
「オレはこんなところで何をしているんだろう」
と考えることがある。
たまたま東京に生まれ、生活に不自由なく暮らせているのは大変幸運なことだが、本当に自分が望んでいることなのかわからなくなるのだ。
自分のやらなければならないタスク、考えなければいけない将来に嫌気がさして
「あー、田舎で晴耕雨読の生活が送りたい、逃げ出したい」
なんて考えてしまう。
結論から言うとないものねだりなのだと思う。
きっとオレは田舎で生活し始めたら物足りなさを感じるだろうし、都会に戻りたくなると思う。多分。
しかし、モラトリアムの最終段階として一度自分の中で答えを出しておきたい。
就活が終わったら、電子機器を全て家に置いて、読みたい小説を数冊と見たい映画を持ち、二週間ほど俗世から解放されてみたい。
プチ隠居生活だ。
その生活の中で自分がどんな考えを持つか興味がある。
もしかしたら、都会の生活に本当に疲れていて、帰らぬ人になるかもしれないし、ないものねだりでしかなかったことを改めて悟り帰路につくかもしれない。
どちらにしても答えが出れば幸せだ。
しょせんは深夜の戯言の延長でしかないがワクワクしている。
人生は割と楽しい。
色々とめんどくさいことも多いが、自分の感情を観察していると意外と面白いものだ。
人生は暇つぶしだと言う人がいるが割と共感できる。
人生の意味は自分しか決められないし、暇つぶしはどうせなら楽しい方がいい
将来の期待と不安が絶妙にブレンドされる中で、自分をさらに知りたい。
そしたらこの暇つぶしはもう少し面白くなるのではないだろうか。